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[15]とある夏の出会い

 八月三十一日。つまり、夏休み最後の日。僕は周囲の愚かな人間とは異なり、宿題を初日で片付ける男であるので、のんびりと過ごしている。夜風に当たりながら、ファンタオレンジを優雅に口にする。台風が近いせいなのか、空は曇っている。月が見えないというのは、いささか優雅さに欠ける。しかし、天候に文句を言ったところで直ってくれる訳も無いない。僕ら、ちんけな人類は自然に対しては余りにも無力だ。
 風の音が聞こえる。ひゅるりと、西部劇のワンシーンのように。
 その風は生温かく、決して心地いいものではなかった。どころか、不快だった。眼下にひろがる景色さえも、不快だった。中途半端で、ありきたり。言葉にする程の感想すら湧いてこない。
 僕はベランダを後にして、自分の部屋に戻った。すると、あるはずのないモノがそこにいた。
 浴衣姿の女性が、呆けた表情で立っていた。桃色の髪の毛、自己主張の少ない胸、ほっそりとした肢体。祭りの出店で売っているような狐の面を斜めに被っている。面からはみ出ている素顔は、猫のような人懐っこさを与える印象。
 ……あれ? どうして僕の部屋に見知らぬ女性が僕の部屋に? 確かに、両親は海外出張中、なんだってOK状態であるが……女性を連れ込む趣味は僕にはない。それに、この人は僕よりも明らかに年上だ。確かに、胸元は僕らの年代から考えても残念なものではあるだろうけれども、纏っている雰囲気は別物だ。人生の酸いも甘いも噛み分けた――とまではいかないものの、僕から見れば大人の女性であることは間違いない。
「あの……すみません。僕の部屋に何か御用ですか?」
 意を決して尋ねて見た。彼女は眠たそうに猫目を搔くと驚いたような顔した。いや、驚くのは本来僕の役目なんだけれど。
「ごめん、ごめん。ぼうっとしてたから間違えてテレポートしちゃった。すぐ帰るから、気にしないで。私のことは闇夜に紛れ込んだ蛍だと思って忘れて」
 あっけらかんと言うと彼女は何やら呪文らしきものを唱え始めた。日本語でないのか、あるいは僕の語彙力不足なのかは分からないが、とりあえず僕の理解できない単語はぶつぶつと唱えている。
「ちょっと、待って下さいよ」
 僕は彼女の肩に手をかけて制止を試みる。布の感触がどことなく……以下略。
「――詠唱中に話しかけないでくれるかな? 私、テレポートとか、非破壊系の魔法は手中しないと成功しないんだから」
「いやいや、魔法少女ごっこはいいですから。どのようにして僕の部屋に忍び込んだか教えてください」
 電波発言をする彼女に対し、冷静な突っ込みを入れる。最近世の中物騒だ。現に、このよく分からない電波女が僕の部屋に悠々と侵入してきている。別に、取られて困るような物も見られて困るような物もない。しかし、それは今現在においてだ。いずれ、守るベき物や隠すべきものがでてくる。そのような状況に陥ったとき、我が城が来る者拒まず去る者追わずの環境であっては困るのだ。後学のためにも、彼女がいかようにここに侵入したのか問いたださなくては。
「だから、テレポート。魔法だって」
「もう少しまともな言い訳をしてください。僕が小5ショタだからと言って舐めないでください。見た目は子供、頭脳は大人のどこぞの名探偵まではいきませんが、夏休みの宿題を初日で始末できる程度の要領の良さと知能は持ち合わせていますから」
 僕の発言に、彼女は「ふーん」と感心したような顔をした。けれど、その後に続く言葉は「私は魔法使いだから、そんなこっちの常識に縛られた手段は使わない」と言った。悪魔でも電波な態度を崩さないようだ。だったらこちらにも考えがある。
 僕はテーブル上に放置されていた携帯を手にし、110の番号を打った。そして、その番号が表示された画面を彼女に突き出した。
「正直に白状しないなら、警察を呼びますよ」
 何かを取られたという確証はない。しかし、他人の住居に無駄に侵入している時点で『不法侵入』という法律違反が成立するはずだ。それを犯すことによる刑罰がどれ程のものかは知らないが、誰だって捕まりたくはないだろう。僕の立場は優位のはずだ。
 ……けれど、浴衣姿の彼女は笑っていた。露になっている半眼は笑っていた。口元も吊り上がっている。まるで追い詰められているという風ではない。どころか、この状況を嘲っているいるようにも思えた。
「いやいやいや、このアルベイス・ナーサリーに対して警察で圧力をかけるなんて――片腹痛いとはこのことだね」
 彼女がパチンと指を鳴らすと、僕が握っていた携帯電話が音もなく消滅した。まるで、元からそこに存在していなかったかのように、塵一つ残さず消えた。
「私にかかれば警察だってそんなもんだよ。まぁ、無駄な殺生は好まないし、とりあぜずこっちの世界では、ただの奇術師っていう設定だから、やりたくないのだけれどね」
「………」
 僕は、沈黙した。言葉が、出てこなかった。携帯電話を一瞬で消滅させた。仮に彼女のその能力の適用限界が携帯電話サイズだったとしても、まともにやりやって勝ち目はない。彼女は電波女ではなく、本物だ。あろうことか、僕はその本物に喧嘩を売ったてしまった。
 短い、短い人生だった。まだ、僕は何一つとして成し遂げていない。どころか、人生における目標すら立てていない。ただ、日々をのうのうとそしてほのぼのと消化しているだけだ。嫌だ、まだ死にたくない。僕にはやりたいことがたくさんある。知らないだけで、やりたいことがたくさんある。やるべきことも、たくさんある。知らないだけで、やらなくてはいけないことがたくさんある。僕は、まだ死ねない。死にたくない。こんなところで、こんな時に、まだ愛と恋の違いさえ分からない年齢で、僕は――死にたくない。
「じゃあ、私は帰るから。今度は止めないでね。さっきも言ったけれど、破壊系の魔法は苦手なんだ。だから、奇術……といっても手品だけれど、消滅系のモノしかできないんだ。良かったら、今度見に来てよ。毎月十九・二十日。その深夜に、駅前の金ぴか信長像の前で公演してるからさ」
 震える僕に、彼女は笑いかけた。そして、僕が何かを答える前にすぅっと消えてしまった。
 助かった、と思った、死なずに済んだと。その安堵感からか、僕はその場にへたりこんだ。さっきまでの優雅さはどこ吹く風、そこにいるのは惨めでヘタレな小5男子の姿。
 僕は呼吸をい整え、這う様にベランダに出た。
 すると、景色が変わって見えた。
 不快に感じた世界も、心地よく思えた。
 死は、生を引き立てる。世界を違ったものに見せる。
 僕は小5にして、そんな事を知ってしまった。
 僕の将来、一体全体どうなることやら。
 やりたいことはまだしも、やるべきことは何なのだろうか? 物凄く、ハードなモノになった気がする。
 とりあえず、来月の十九日に、あの場所に行ってみよう。
 黄金の信長像の所に。

 



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